雛罌粟(ひなげし)
そう言った。
夢の中で。
目が覚めると人形は動いていない。
「お前は何者?」
どれだけ話し掛けてみても答えは返ってこない。
「お嬢様…そのお人形は。」
「ええ、例の人形よ。」
キャメルは最初に私があの人形と出会ったときと
全く同じ反応をしている。
さすが唯一心の許せる相手。
私は気が付くとあの部屋に行っている。
これだけ頻繁に行っていると
大臣や執事たちが怪しむのは当然。
私のいない時間に何やら部屋を物色している。
だったらあの日記は…?
「お嬢様。
あまりこの部屋には入らぬようお願いします。」
出来るだけ私には何も知られたくないらしい。
部屋へ戻ると人形がない!?
まだ昼間だって言うのに…
いや、夜しか動かないとかそういう問題でもないが…。
その夜、事件はまた起きた。
清掃員の部屋の向かいの部屋。
空部屋だったその部屋で1人の執事が死んでいたらしい。
部屋には何もなくただ1つだけ…あの人形。
この執事が私の部屋から持ち出したのだろうか?
他の者に聞いてもそんな命令は誰も出していないらしい。
「お嬢様はお部屋へお戻りください。」
執事に言われなくてもそうする。
部屋へ戻ると灯りが消えている。
消したままだった?
灯りを付けようと手探りで灯りのある場所を
見つけ火を灯すと…。
声にもならない。
「何をしておる、ここは私の部屋だ。」
「お嬢様…。」
何やら様子がおかしい。
「人形を…。」
人形?
あの人形がなんだと言うの。
「人形を渡せ…。」
反応しないでいると徐々に気性が荒くなり始め
そして、ガーネットへ刃を向ける。
とっさに後ろへ飛び上がり避けるが
次の一撃までは避けきれない。
着地の姿勢なんて考えもしなかったガーネットは
身動きのとれるような状態ではなく
目をつむってしまった。
何が起こったのだろう。
目を開けるとさっきまでいた者がいない。
変わりに人形が座っている。
そして、入り口には大勢の人がむらがってきていた。
「なんだ?」
「どうしたんだ?」
まずい…ような気がする。
ちらっと見たその者たちは明らかに様子がおかしい。
そいつらはぞろぞろと私の部屋へ入ってくる。
私は徐々に部屋の隅へと追いやられると
何気に人形を抱きかかえていた。
「下がりなさい、無礼者共。」
と言ってみても聞かないのは分かっている。
万事休す…。
カン
カン
カン
何か甲高い音が響き渡る。
「お嬢様、ご無事ですか。」
キャメル!?
なんでスコップなんて…。
そのスコップで次々と頭を叩いている。
しかし、既に部屋の中にいるやつらまでには遠く及ばず
ガーネットの腕に手がかかる。
『呼びなさい。』
!?
心の奥底から声が聞こえる。
私の中から…違う。
人形!?
『さあ、呼びなさい。
私の名を。』
「ひ…。」
なんだっけ…。
いやいや、呼んだところで…。
『ひ・な・げ・し』
…。
「ひ・な・げ・し。」
そう言葉で発すると人形が動き出す。
「私の名は雛罌粟、死を司る者。
哀れみに満ちた残魂たちよ、浄化されよ。」
うつろな目を見開くとそこにいた者たちが
次々とガラス落としたときのように
ひび割れ、その場に砕け散っていく。
何を見ているのだ、私は。
現実なのか…。
足元にいる人形…。
確かに動いている。
そして見た事のある者たちが次々と
砂のように散っていく。
全てが終わるまでにそれほどの時間はかからず
辺りは静まり返った。
「お嬢様…?」
1人残っているのはキャメル。
それ以外ここにいた者は綺麗な砂となってしまった。
「これはいったい?」
当然の質問を掛けてくる。
とは言え私に分かるはずもない。
唖然とする2人をよそに人形は歩いて
ガーネットのベッドへよっこらしょっと上がると
横になる。
「あの〜。」
「!?
どうしたの?」
自然だ。
全然不自然じゃない。
なぜか場になじんでいる人形。
「あ、どうも〜雛罌粟です。
お世話になります。」
ぺこぺことベッドの上で礼儀正しくお辞儀してくる。
「…。」
この子は…。
「どうもこちらこそ、色々とお世話に…。」
「ちょ、キャメル!?」
反射的になのかキャメルはその場に座り込んで
ぺこぺこしている。
とりあえずキャメルも部屋の中へ入れて私は部屋の戸を閉めた。
「貴女…雛罌粟って言うの?」
「うん。」
「貴女が来てから色々起きたけど…。」
「それはそうよ。
私が呼ばれる場所は死の匂いのする場所のみ。」
感情の無い目でそう言うと
不気味な笑顔になった雛罌粟。
それからだいたいの事は聞いた。
死んでもなお生きようとする者たちを
浄化して行くのが仕事らしい。
けど、そのためには力が必要で
常に動き続けるなんて事はできずに
こうして名前を呼んでくれたときだけ
目を覚ますらしい…。
なんて迷惑な…。
雛罌粟が言っていたように時間が来ると
いつも通りの人形へ戻ってしまった。
確認したい事があった。
今屋敷にどれだけの人がいるのか。
どれだけの死体が動いているのか。
まず簡単なのはさっきいなくなったのが
どこの誰なのかをしっかり把握する事だった。
「だいたいこんなものかしら。」
「おそらくは…。」
キャメルと協力していなくなった大半の人は分かった。
分からないのはどうやって生きている人間と判別するかだった。
いくらすれ違う人間を見ていても違いが分からない。
いい加減疲れてきたガーネットは
自室に戻ると雛罌粟を見る。
確か…動いて無くても…。
そう。
置いておくだけで死人は寄ってきた。
そういう日があるのかもしれない。
そうガーネットは思った。
そしてその日はちょうど月のない夜だったという事を
思い出した。
「とにかく日中とかは平気そうだから
上手く聞き出して頂戴。」
「はい、お嬢様。」
ショックを受けていたキャメルもちょっとは元気になったみたい。
次の日から2人の人間観察は始まった。
とは言え普段からまったく違和感の感じられなかった2人には
誰が死人かなんて事は分からない。
もっと分かりやすい何かがあれば…。
けど、そもそもどうして死人がうろうろしているの?
これが普通なの?
いやいやと首を振るが実際に昨日はいた人間がいない。
あの中にいた人間は確かに今存在していない。
きっとあの清掃員も…。
消されてもなお意識だけが残っていて日記を書かせたのかしら…。
それからあっという間に1ヶ月。
またあの日がやってくる。
結局誰が死人かなんて分からなかった2人は
とりあえずガーネットの部屋ではまずいと思い
ホールへと移動した。
「大丈夫よ、たとえ大勢来ても
そのときは名前を呼んだらこの子がなんとかしてくれるわ。」
そう、死人たちは雛罌粟に救いを求めて
ここへやってくるはず。
しばらく時間が過ぎるとぞろぞろと足音が聞こえてきた。
それはまさにあの時と同じ光景。
慌てずにぎりぎりまで引き付けると…
「おいで雛罌粟。」
ガーネットが抱きかかえていた雛罌粟は目を覚ます。
「もう仕事の時間…。」
随分この前と比べると眠たそうに見える。
大丈夫だろうか。
そうも言っていられない様子で
雛罌粟はとぼとぼとそいつらの来る方向へ歩き出すと
前回同様に…
「私の名は雛罌粟、死を司る者。
哀れみに満ちた残魂たちよ、浄化されよ。」
雛罌粟に魅入られた魂たちが次々と砂へと変わっていく。
しかし、後ほんのちょっとというところで急に
その浄化が止まってしまった。
「あれ!?」
「お嬢様?」
顔を見合わせるガーネットとキャメル。
雛罌粟が人形へと戻ってしまったのだ。
「ど、どうゆうこと!?
どうして途中で帰っちゃうのよ。」
起きなさい、起きなさい。
と言うように雛罌粟の肩をゆっさゆっささせてみるが
まったくの無反応。
それでもゆらゆらとそいつらは雛罌粟に向かって
その足で1歩1歩近づいてくる。
「お嬢様〜。」
キャメルを見ると…
「(:.o゚з゚o:.).:∵ぶっ。」
なぜかキャメルにそいつらが群がっている。
なんとかしないと…。
震える手でナイフを構えるとキャメルを助けようと
1歩踏み出した。
ドクン
ドクン
殺そうとしてる。
たとえ、死人だとしても…動いている人。
何が違うと言うの…。
だけど…助けたい。
キャメル…。
意を決してもう1歩踏み出したが何かが足にまとわり付いてきた。
「げっ…。」
戸惑っているうちにキャメルに群がっていた半分が
ガーネットへと飛びついてきていた。
もう駄目。
すんなり諦めようとすると倒れている雛罌粟が
ガーネットの目に飛び込んできた。
「ひな…げし。
起きて、雛罌粟。
お願い。」
諦めてたまるか。
こんなわけわからない事で…。
その時、触れていた者たちの意識が流れ込んできた。
『助けてくれ。』
『殺してくれ。』
『もう終わらせてくれ。』
皆、雛罌粟に頼っている。
私には何も力がない。
ただの皇女でしかない。
いや、飾りでしかない…。
もうこのまま死ぬんだ。
そう思いながらも必死に手を伸ばす先には
雛罌粟が横たわっている。
いくら伸ばしてみても
もうちょっとのところで届かない。
その間にもこいつらは2人を押さえ込んでいく。
息苦しい。
キャメルは…。
意識を失っているのか何もできずに埋もれている。
早く雛罌粟を…。
「雛罌粟、雛罌粟、雛罌粟…。」
私は雛罌粟が目を覚ますまで何度だって
薄れ行く意識の中を叫び続けた。
ガーネットのまぶたが閉じ掛けた時
とてつもない光がホール内を包んだ。
かと、思うとその光はすぐに消えてしまい
同時に重たく圧し掛かっていた物が軽くなった。
見ると今までいたそいつらは消えてしまい
全てが砂となっている。
「雛罌粟!?」
見る先にはいつもの雛罌粟が立っていた。
「ありがとう、ガーネット。」
「!?」
どうやら私の気持ちの問題だったらしい。
人の名の呼び方にも色々あるように
その呼び方で雛罌粟の引き出せる力も
変わってくるようだった。
そんな事先に言ってくれないと
全然わかんないし…。
そしてキャメルを私の部屋へ連れて行くと
ベッドに寝かせた。
屋敷の中は妙に静まり返っている。
まるで誰もいないように…。
案の定、屋敷内を歩いても誰の気配もない。
皆消えてしまった。
「どうしたの?」
「だって誰もいない…。
お父様やお母様まで…。」
「仕方ないわ…。」
これ以上探し回っても誰もいないと思い
自室へ戻るとするガーネットを雛罌粟は止める。
「ん?」
「行っちゃ駄目。
貴女にはもう1つ仕事がある。」
「!?」
「なんと、そんな遠くからですか。
それはそれは。」
ガーネットはその足で遠くにある国まで来ていた。
あの人形を持って。