元から知っていたんだ
こうなること
それでも変えられないこと
それが運命
陽の差さない路地を歩く女の子がいる
狙うには打って付けだろう
そっと背後から近寄り後頭部をレンチで一発
何事かと女の子はこちらを振り向くが気にせず二発目、三発目
叫ぼうとする女の子の口を押さえ押し倒すと更に数回
叩いているうちに抵抗しなくなりぴくりとも動かない
あっけない幕切れだ
たった数秒で今までの人生が終わる
それも運命
ここがどこなのかわからない
目を覚ました愛莉は記憶を辿ろうとしてもさっぱり思い出すことができない
ちょっと前のこと
ずっと前のこと
名前しかわからない
帰る場所も分からなくなり途方に暮れているとお巡りさんが声を掛けて来た
「学校はどうしたのかな?
高校生だよね?」
そう
高校生らしい
「なんにも覚えてなくてずっとここに」
「すぐそこに交番あるからそこで話そうか」
と、手に触れられた時なんとも言い様のない気分になり吐き気がした
その手を拒絶し逃げるようにその場から離れた
「はあはあ」
スポーツは苦手らしく少しの距離で息が上がってしまった
「そうだ」
愛莉は何かに閃いたように持っていたカバンを開けると中身を物色した
中にはお弁当、化粧品、手帳…
随分色々と入っていたが目的のものを見つけた
携帯は…電池ぎれみたいだ
財布
中には現金の他になんかのカード類
それからどこかのレシート
お金があれば何かには使える
それから学生手帳を見た
学校の名前
そこへ行けば何かわかるかもしれない
愛莉は道を聞きながらそこへ向かった
そこからさほど遠くはなく歩いて数分で目的の場所へ着いた
キリスト教の学校らしくマリア様の像が門柱に乗っかっていた
門には柵があって時間外には出入りできそうにない
だが丁度こちらに誰か向かって来る人がいた
「お嬢様!?」
掃除のおじさんみたいな格好した人がこちらに向かってそう叫んだ
辺りをキョロキョロするが自分の他にはいない
どうやらお嬢様と呼ばれたのは自分らしい
「このようなお時間にいったいどうされました」
門を開けながら聞いて来るが何もわからないのだから仕方ない
事情を説明するとすぐに医務室へ通された
校舎に着くまでにはかなりの距離があり
どこかの豪邸の庭のようだった
医務室にはまだおばさんには遠い人が1人白衣姿で座っていた
案内を終えた掃除人らしき人は去りその女性と1対1となった
背が高くスラッとしていて大人の女性
何かの香水の匂いもする
「愛莉さん
名前以外思い出せないの?」
「えぇ…」
何かメモしながら会話が続く
「ちょっと外傷がないか見るわよ」
立上がり頭や体など傷がないか調べられると傷もないことを確認された
「おかしいわね
外傷がないとすると内部ということになるけど病院で見てもらうしかないかな
ここでは簡単な処置しかできないから」
結局病院へ行くことになったがどうやら自分が1人暮らしであることを知る
普通なら親がすぐにでも来るはずだが誰もそれに触れないのはおかしい
気にしながらも病院まで来るとすぐに検査が始まった
けたたましい音と共に回りが回転している感じがする
なんという機械か見る暇もなかったがたぶん脳を調べているのだろうとは分かった
それも数分で終わると何も異常なしとわかる
異常がないのに記憶だけがなくなってしまった
それから一度家まで案内してもらったが自分の家だという感じはしない
オートロックの玄関のあるマンションで部外者はなかなか入り込める余地はないようだ
鍵がないと思えばここは指紋で開くらしい
言われた通りにすると扉は音もなく開く
部屋に入っても記憶はない
自分の部屋なのか
確かに誰かが暮らしている雰囲気はある
1人暮らしなのも見た感じとかでなんとなくわかった
それから今日は1人で考えたいとだけ言って付き添ってくれた医務室の先生に挨拶をした
1人になってのんびりとしながら何かを探す
自分がなんなのかわかるようなもの
写真だったり日記だったり何かあっても良いはずだったが机を調べてもタンスを調べても
何も見つかりはしない
思い出したかのように携帯を取り出し充電に差し中身を開くがこれにも何もなかった
履歴を開いても何もなし
誰かに消された?
なんのために?
だけど何も抵抗することなくこうなったのだろうか
抵抗していたら何か傷くらいついていても良い
考えすぎだろうか
鏡に映る自分を見ているとなぜだか向こう側にもう1人の自分を感じるような気がした
日が替わり朝が来ても学校へ行く気はしなかった
悪い人達でもないとは思ったが愛莉にも分からない何か嫌な予感があった
その時携帯がなった
誰も登録されていないが出てみると昨日の医務室の先生だった
少し安心しながらしばらく休むと伝えた
過去を取り戻せないにしても生活していかないといけない
部屋にはなんでも揃っていて不自由などしないようだ
料理は自分でしていたのかこっちも何でも揃っているようだ
冷蔵庫を見てもキッチンの棚を見ても自炊している雰囲気はある
朝をまだ済ましていなかった愛莉は恐る恐る簡単に食べられそうな物を物色しパンやらサ
ラダなんかを用意した
そういう記憶は全く失っていないようで徐々に慣れた手付きで調理しリビングで朝食にし
た
音が何もないのも寂しいと朝のニュースでも見る
朝のニュースなんて良い物はやっていない
殺人やらなんやを面白そうに語る
ニュースの1つに物騒なものがあった
最近この辺りで通り魔が頻繁にいるらしく未だに捕まっていないらしい
物盗りではなく純粋な殺害
自分より弱い相手を後ろから撲殺するというパターンだろう
狙われているのは女性で1人でいるところをいきなり殴られることがほとんどで全て同一
犯だと見られているらしい
愛莉は不安になりながらできるだけ外にはでないようにした
午後になって天気も良いし昼間だからちょっと買い物に行くことにした
近くにスーパーがあり人も結構いるから安心だった
店内を物色していると色々レシピが頭に浮かんでくる
すぐには決められずに迷っていると良い匂いがする
シチューだとすぐに分かると真っ直ぐにそれを取る
ルゥ以外にも野菜を適当に選ぶとレジに向かった
買い物は楽しい
たぶん料理も好き
普通の暮らしをしていたんだ
両親がいないことを除けば普通と変わりない
きっと忙しい人なんだろう
空いているレジに入ると一瞬何かに驚いたかのような顔をされたが分からない
もしかしたら知り合いだろうか
そう思いながらも少ない数の会計は済み
何もなくレジを抜けた
袋に荷物を入れ終わると一度だけさっきのレジを見てすぐに向き直りスーパーを出た
当然記憶にはないが記憶はできる
しっかり顔を覚えていく
スーパーから家までの数分
愛莉は工事現場を横切った
どこにでもある工事の様子
細い道は更に細くなりトラックや重機で塞がっているような場所まである
道路工事?
よくわからないまま信号を渡ると到着
マンションに入ると外から隔離された気分になる
外からの音は全くなくなり静けさに包まれる
他に住んでいる人だっているはずなのにまだ出会ったこともない
新しい感じのマンションだがドアを見ると名前が付けられている部屋も確かにある
部屋に着くとすぐに料理を始めた
多少は戸惑うかと思いきや全くそんなことはなく難なくシチューは完成する
再びテレビを付け昼食にする
再びニュースで通り魔の話が出ていた
簡単に人を殺す心理
苛められていて助けてくれる人がいないから
とかそんなようなことを話している
だが愛莉は違うと思った
存在を知って欲しいとか自分がいると言う証明
そんな気がした
昼も終わり何もすることがなくなった
窓から外を見ると真っ青な空が近く感じられる
下には小さく公園
更に小さく人や車が見えた
「公園あるんだ」
ちょっと散歩しに行くことにした
公園には遊ぶところがたくさんあってゆっくりくつろぐ場所もあった
愛莉はゆっくり落ち着けそうな場所を探すと噴水の近くに空いているベンチを見つけゆっ
くり座った
さっきと違って人がいっぱいいて声もするし鳥の声もする
噴水から流れる水の音や木々が風に揺れる音もする
その風すら新鮮だった
砂場で遊んでいる子供たち
それを見ながら話しているお母さんたち
運動しに来ているらしい人
芝生に横になって休憩している人
これが日常
当たり前の光景
愛莉は何だか居づらくなりマンションに戻った
入ってすぐに管理人さんに呼び止められる
何やら手紙が届いているらしい
ずらーっと並ぶポストの1つに自分の名前を見つけるとロックを外し中にある手紙を取り
出し部屋へ戻った
戻ると早速開封するが中には1枚の紙切れ
しかもそれは新聞や雑誌から必要な字を掻き集め貼り合わせたような物でこう書いてあっ
た
『なんでいきている?』
ドクン
心臓の音が聞こえる
誰かの悪戯?
咄嗟に消印を確認したが何も書かれていない
書かれていないと言うことは直接入れた?
だったらここの住人…
愛莉は怖くなったが誰にも言えずにその紙切れを机の引き出しの奥に閉まった
暗い部屋
電気も付けずにひたすら時間が過ぎていくのだけを感じていた
窓から見える月は大きく欠けていて今にも
全て暗闇に飲み込まれてしまいそうだった
そのまま私も…
まだ寝るには時間があった
眠くなるどころか不安ばかりが生まれる
誰かに狙われている
よくドラマとかであるのは衝撃的な場面に遭遇してショックが大きすぎて一時的に忘れる
というやつだが愛莉の場合知り合いすら覚えていない
考えるほどわからないことが増えていった
眠れぬまま朝を向かえたが何かしようと言う気力がなかった
外に出たら危険
かと言って誰を信じれば良いのかもわからない
相談する相手すらいないのだ
その日は何もせずにまた夜がやってきた
薄明かりの月に照らされ青白く光る愛莉
ふとした瞬間に頭の中が爆発しそうになるほどの情報が流れ込んで来た
途端に意識を失い目覚めたのは次の日の昼だったが何か違和感があった
服装が違う
見慣れない服
一通りタンスは見たつもりだったのだが見覚えのない服
アニメに出てくるようなカラフルな制服である
というかそれ以前に着替えをした記憶がない
自分で着替えたのか気絶していたうちに取り替えられたのかすら不明だった
すぐに元の服へ着替えると恐る恐る家の中を調べて周ったが別に誰かがいる気配もなく誰
かが入って来た形跡もない
玄関には鍵の掛かっているドア
こじあけられたような跡も見当たらない
窓も同じだった
だが1つ気になった
しまってあったはずの靴が出ていた
無意識に出したのだろうか?
それとも夢遊病みたいなものだろうか
なんだとしても病院にも行けない
今は誰があれを郵便受けに入れたのかが分かるまでは誰一人信じてはいけない気がした
玄関に立っているとチャイムがなった
驚きのあまり声を出しそうになったのを手で押さえなんとか堪えるとそろりそろりと覗き
穴から向こう側の様子に目を向ける
すると知らない人が立っている
しかし外から来たのなら直接ここへ連絡が入ることは聞いていたからこのマンションの住
人だろう
見た感じは普通のおばさんで手に何か持っているらしいが迂闊に開けることも出来ない
手に包丁を持っていないとは言い切れないからだ
しかししばらくしてもなかなか立ち去らない
いることがばれているのだろうか?
と思った時ようやくおばさんはその視界から消えた
ホッとしてゆっくりリビングへ戻ると涼しい風が吹き込んで来た
「なんだ、いるじゃないかい」
そこにはさっきのおばさん
後ろの窓は鍵をどうやって開けたのか全開で開かれている
「あらら記憶がないのは本当らしいね
昨日はあんなに調子よかったのにさ」
昨日?
会った覚えはない
「一時的に記憶が飛ぶらしいね」
いつの間にか取り出していたタバコに火を付けると一服し始める
「あ、そうそう
忘れもんだ」
そういうと手に持っていた袋を愛莉の方向かって投げた
愛莉は慌てるように受け取ると中身を見て絶句してすぐに落としてしまった
中身は誰の物かは知らないが人の頭のようなものが入っていた
「本当に記憶ないんだね
まー良いさ
これではっきりしたから言うけどあんたは首だよ
今後一切顔出すんじゃないよ」
なんのことか分からないが崩れ落ちた愛莉は立ち上がることも言葉を発することも出来ず
にそのまま見送った
なくなった記憶に何があったのか
さっきのは誰なのか
昨日の夜どこへ行ったのか
わからないことだらけで考えるほど悪いことばかりがよぎっていく
だが分かったのはあれを出したのはあの人ではないこと
それに何かやばいことをしていて記憶がなくなっていると言うこと
決して良いことばかりじゃない
あの誰かの頭を見たって分かる
愛莉は自分が何をしているのか分からなかった
人殺しなのか
それともただのおもちゃだったのか
まず何から調べたら良いのかすらわからなかった
すぐにできることから考えてみた
あの紙切れを出したのは本当にこのマンションの人だろうか
それとも初日に愛莉と一緒にここまできた誰かだろうか
ロックされているとは言え入る方法なんていくらでもあるように思えた
次にあの女
結局名前すら知らないままだしどこにでもいるおばさんに見えた
今となっては探すことも不可能に近いかも知れない
残りは学校くらいしかないだろうか
しかし清掃員らしきおじさんと医務室の女の人以外にはまだ会っていない
行ったところで何になるか分からない
解決の糸口すら見当たらなかった
途方にくれる愛莉
溜め息すら出てこない
あの紙切れは作るまで何分くらいかかるのだろう
あらかじめ作ってあるわけもないがある程度の文字は切り抜いておけば貼るだけのこと
それなら数分かもしれない
1から作ったとしたら数時間はかかるだろう
数時間だとすれば会った人はかなり限定されるが数分なら擦れ違った人まで全員が可能と
なってしまう
いずれにせよ愛莉に敵意を持った相手には違いない
それに関しては恐らくあのおばさんに関係してくるのだろう
愛莉が何かしていたのは確かだった
それも命に関わるような
それも被害者の方ではなく加害者だろうと予測はできた
あんな首まで持って来るくらいだから
良い人間のすることじゃない
と思った
その後も色々考えてはみたが結論なんて何も出ずに買い物に行くことにした
何事もなかったかのように管理人さんに挨拶し店へ行く
適当に安い物を選び作る物を考える
そしてレジまで来た時だった
何とも言い様のない違和感を覚えた
嫌な空気が向かって来る感じがしてどこからか視線を感じた
少しうつむいているとレジの順番が回って来る
その時見えていた男の手には妙な傷がいくつもあった
猫でも飼っているのかもしれない
無事にレジを超えるとさっさと袋に詰め店を出た
さっきあった視線が消えたかと思えば背後から足音が聞こえて来る
それも少し小走りのようで当然追いつかれた
「愛莉?」
名前を呼ばれドキッとしたが声には優しさがあったからかすぐに振り返った
そこには愛莉の通う学校の制服を来た女の子が1人立っている
眼鏡を掛けていてきれいな長い髪に整った顔
背は同じくらいだが愛莉より幾分痩せているようにも見える
「えーと…」
もちろん知り合いだとしても記憶にはない
「まだ記憶ないんだね
同じクラスの亜季だよ
友達ってとこかしら」
「亜季さん…」
一応声に出してはみたが思い出せそうにはなかった
「良いの良いの
無理しないで?
そのうち思い出せるだろうしまた仲良くなれば良いんだもん
平気だよ」
亜季という子は明るい子らしい
愛莉の中ではまた新しい情報が記憶されていく
「しばらく学校はお休みするって聞いたけど入院しているわけではないのね
何日か前に見掛けたって子もいたし…」
「うん
無理しても戻らないみたいだから」
咄嗟に適当な答えを言ってみた
だが病院にまたおいでと言われていなかったのも事実だった
確かにこんな記憶がない状態の人がいれば即入院か通院が当然かもしれなかった
「そういうものなの?
私にはよくわからないけれど
今日はこれから用事があるからまた今度連絡するわ」
手を振って別れると溜め息を付きながら空を見上げた
高い空はいつの間にか落ち日没が近付いていた
薄暗い路地は奇妙な雰囲気が漂い明るくほのぼのとした昼間とは全く逆の世界へと変貌を
遂げる
そしてあっと言う間に闇に包まれていく
長い長い夜の始まり
ロックを外しマンションへ入るといつものように管理人さんがこちらを見ている
最初の時は何も感じなかったがあの手紙の時から監視されているような錯覚に陥っている
いつもどおりに見えるその光景にすら不信感や違和感すら感じられる
挨拶だけして止まることなくそのままエレベーターで部屋のある階までやってくると扉が
開いた向こう側に男の子が1人
野球帽を被り下を向いているから顔は見えなかったが小学生だろうか
入れ違いで少年は下の階へ降りて行くようだった
部屋の前まで来ると扉に何か挟まっている
黒い紙のようだ
あの時ポストに入っていた紙を思い出してしまい開くことなく部屋へ入った
部屋の中は静かで何も変わった様子はない
2つ折られている黒い紙を思い切って開いた
中には二文字だけ
『殺す』
と真っ赤な字で小さく書かれていた
それほど驚きもせずに紙をたたんで前の紙切れと同じ場所にしまうと何も考えずに料理し
始めた
それから時間が経ってもう寝るだけになったが寝る前に色々と考え始めた
新たに来た黒い紙
直接持って来たわけだから入り込める人間というのは確か
しかもあの時間帯にいなかったことを見ていたはず
ただ挟むにしてもいる時に堂々と来るのは無謀に思える
時間が経つにつれて分からないことが増えて行く
現時点では自分が何をしてきているのかすら分からない
学校へ通いながら何をしていたのか
命を狙われるほどの何かだってことは想像できたがそれ以上は何もわからない
頭を持って来たおばさん
マンションの管理人さん
学校の医務室の先生
掃除人のおじさん
病院の看護師さん
クラスメートの亜季
今のところはこんなもんかな
愛莉はノートに書いていく
他にも怪しいと思った人物を書いた
レジの男にさっきの少年
それにあの頭の持ち主
いったい誰の物だったのだろう
ニュースを見たってそんな殺人は全く報道されていない
まだ見つかっていないのだろうか
なんだとしても今は狙われているという現実が重たくのし掛かって来ていた
誰かも分からない
何をしたかも分からない
逃げ出すことも
先手をとることも
もちろん警察になんか言えるわけもない
そうこうしているうちに日が変わってしまった
「そういえば」
愛莉が何かに閃いた
なぜ紙を持って来たのだろう
ということ
記憶が無くなったことを知らないか
何かの警告だろうか
本気で殺そうとしているのなら二度も来て脅す理由が不明だった
やはりただの悪戯なのだろうか
考えてもわからないものがわかることもなく結局相手が接触してくるのを待つくらいしか
ないと思った
明くる日愛莉は太陽がてっぺんにやってきた頃公園でのんびりしていた
あんなところにいるよりは気分もすっきりする
日中というのもあって人はあまりいなく
時がゆっくり刻まれている錯覚すらした
一歩外を見れば慌ただしく行き交う車や人
平等にある時間も使い方で全く違う
「時間か…」
戻せたら何もかもわかるのに
なんて思いながら部屋へ戻った
戻せない時間と共に流れる愛莉
漆黒の闇に浮かぶ不気味な満月
目がおかしくないのならその色は紅
真紅に染まる月に照らされ自分にまでその不気味さが移る
呪われた血はどうすることもできはしない
強い衝撃が頭の中を通り過ぎていくと意識が飛んでいった
夢?
とても嫌な物を見た
誰なのかも分からないほどにまで切り刻まれた死体の前に立って息を切らせていた
手にはナイフのようなもの
自分がしたのかもわからないまま意識だけがただなんとなく他人を見ているかのように浮
かんでいた
気分が悪いまま夢であったことを祈りつつテレビで確かめることにした
あれだけのことならすぐに放送されるはず
だったのに一向にそんな話題にはならずにたいした内容のものもしないままにニュースは
終わる
やっぱり夢だったのだろうか?
愛莉は自分さえ信じられなくなっていた
それから1日経って状況が一転した
それはある1枚の写真
紅い髪に紅い目の自分そっくりな人があの夢で見た人らしき物体の前にいる写真
誰からのものなのかは不明だったがこれが自分だと言うのは分かる
あの晩何かが起きていた
それも記憶が戻れば全てわかることだが自分が人ではないような気がしていた
それから数日後
買い物に行こうといつもの道を通ろうとしたが工事中
仕方なく回り道をしていくがそこで事件が起きた
背後から何者かに押さえ付けられ身動きが取れない
「大人しくしな」
手にはナイフが握られていて愛莉の顔に当てられている
大人しく言うことを聞くとナイフは離れる
その時顔が見えた
マンションの管理人だ
「記憶が戻ると厄介なんですよ
せっかく苦しまずに殺してあげようと思ったのに」
そういうとナイフを振りかざして来るが愛莉は瞬間的にかわすとどこで習ったのか咄嗟に
管理人に蹴りを入れた
その場に崩れ落ちる管理人
それを見てクスリとほほ笑む愛莉はとどめと言わんばかりにそのナイフで管理人を切り刻
んだ
逃げるようにその場を離れすぐに自宅へ戻る
すれ違う人には何事もなかったように挨拶をした
部屋へ戻るとまず手を洗いたかった愛莉は洗面所に入った
途端にその異変に気がついた
髪も目も紅い
あの写真で見たとおりの自分がいた
ショックのあまり
その場にペタンと崩れると背後に誰かの気配を感じた
その気配には殺気が混じっていて振り向いたら殺されると直感した愛莉はためらうことな
くバスルームに入り鍵をして小さな窓から外へ出ようとした
途端に鍵を掛けた扉が力づくこじあけられようとする
必死で窓から出るが足場などなくベランダまでは小さな縁があるだけ
窓からベランダまではほんのちょっとでも窓から手を離せば下へ落ちるのは覚悟しなくて
はならなかった
それでも戻ることは許されず扉が破られる瞬間に愛莉の手が窓枠から離れベランダへ飛ん
だ
しかし飛ぶと言うにはあまりにも無様で落下したという表現の方が正しいかもしれない
ベランダの枠には手が届かずに真っ逆様に落ちていく
『誰か助けて』
目をつむってそう願う他なかった
数秒後
愛莉は無事に着地していた
あの瞬間に愛莉も何が起きたのか分からなかった
意識が飛びかけ朦朧としている中に誰かの声が聞こえた気がした
途端に体が宙に浮いたふわふわと降りる姿は何に見えただろうか
紅い眼に紅い髪
それに黒い翼
舞い降りた瞬間にそれらは元に戻り愛莉は崩れ落ちた
ゆっくり考えている暇などない
さっきの人が来る前にここから立ち去るのが先決だった
愛莉は必死に走った
どこへ行けば良いのかなんて分からないけど誰も知らない場所へ行きたかった
雷が鳴り突然の雨
それまで晴れていた空が一気落ちて来た
雨宿りできそうな軒を見付け一旦そこで落ち着く
全力で走ったせいで激しく呼吸をしている
今誰かが来ても何もできない
周りを警戒しながら徐々に呼吸が整ってくると雨は更に強く降り出す
滝のように流れる雨の中を何かが近付いて来る
嫌な予感がした
ガソリンを積んだトレーラーが加速しながら突進してくる
普通の車だって体当たりしてこられたら即死だって言うのにあからさまにあんな物で来る
のは賢くない
なんて呑気に考えている暇もなく急いでその場から移動するが加速するあれより速く走る
ことができるはずがない
細い脇道で曲がると構わず家を破壊しながら突進してくる
徐々に差は縮み
これ以上逃げるのは無理だったぎりぎりのところで再びあの感じ
大量の記憶が脳に入り混むような
脳が破裂するようなくらいの痛みの中にあの声が聞こえる
『再び出会えたこと
感謝する』
今度は意識を保ったまま
愛莉は意識だけで体の自由は利かない
愛莉の中にいるもう1人の愛莉はトレーラーから少し離れると両手で剣でも握るかのよう
な構えをすると
たちまち無かった剣が姿を現した
真紅に燃える剣を振りかざしトレーラー目掛けてその剣を突き刺した
大爆発と共に周囲が吹き飛んだが一番近くにいた愛莉にはなんの影響は無かった
再び体の自由が利くようになるとその声は聞こえなくなり疲れだけがどっと出た
大騒ぎになる前にその場からなんとか避難し誰もいない倉庫の中で体を休めた
雨はなかなか止まない
もう何時間降り続けただろう
体の方はだいぶ良くはなったが外に出る気にはなれなかった
元々雨が嫌いなのか濡れた服も髪も気になる
ずぶ濡れ状態で乾かすこともできないままに体が冷えていくのを感じた
屋根には相変わらず激しく降る雨音が痛々しく突き刺さっている
「寒い…」
冷えきった倉庫にずぶ濡れのままいる愛莉の体力は次第に低下していく中にあの人が話し
かけて来た
『そこの木に火を着けたら?』
見兼ねて言ったような口調
自分の中にもう1人いる不思議さや違和感を感じながらも言われたとおりにしようとする
が火を着ける道具がない
「どうしたら良いの?」
仕方ないなーと言うように再びあの感覚が来た途端に
掌が熱くなり光の玉が現れた
それは髪や眼と同じ紅色で火の玉を連想させるようだった
それを木、目掛けて放り投げると
木はたちまち燃え上がり丁度良い加減になる
燃える木に眼を奪われていると何か思い出しそうな予感がした
前にも似たような場にいた
そんな気がした
深くは思い出せないがあの時も何かから逃げていたのだろうか
1時間ほど座っていただろうか
服も体も乾き温まった頃
外の雨も激しさを無くしたようで雨音もすっかり落ち着いている
外の様子を伺いにゆっくり立上がり入口へ向かうと光が差し虹が掛かっている
しかし驚いたのはそれにではなく手前にいた人物
こちらには気が付いていないようだったが医務室の先生だ
愛莉を探しているのは明らかだ
なぜここにいるのが分かったのか考えてみれば味方になってくれそうもないことは分かる
のんびりしている余裕などなく急いで入口から出ると静かに見つからないようにその場を
あとにした
あの人が全てしたのだろうか
トレーラーを運転したり家に押しかけたり?
信じられない
見た目は普通の女性なのに…
それを言えばあの頭を持って来たおばさんだって普通のおばさんだった
普通に誤魔化されちゃいけない…
うまく逃げられたと思っていたが急に眼の前が暗くなった
何者かに後頭部を叩かれたらしい
頭を押さえながら見た先には学校の清掃員のおじさんだ
うずくまりながらも必死に立上がり逃げると必死に追いかけて来る
いったい何が起きているのだろう
走るのは早い愛莉
すぐにおじさんを撒くと更に前方から誰かが来た
亜季だ
金属バットなんか持って凄い形相で愛莉に向かって走ってくる
愛莉は咄嗟に地面に落ちていた鉄パイプを手にすると振り下ろされたバットを受け止めた
驚いた亜季は透きだらけだったがどうしても聞きたかった
「なんなの?
私が何をしたって言うのよ」
「…」
一瞬時間が止まった気がした
亜季のバットを握る手が微かに緩んだのがわかる
「本当に記憶ないのね
けどあるないに関わらずこうするしかないのよ
それが貴女のためでもあるのよ」
そうなんだとしても
何かを失うことは嫌だった
過去に何をしてきたのか
これから未来に何ができるのか
何もわからないけれど
今できること
今正しいと思うこと
それだけを信じたい
その後に何が起ころうとしても後悔なんてしたくない
「だから…」
愛莉は向かって来る亜季のバットをかわすとためらうことなくお腹に鉄パイプで一発入れ
た
亜季はうなだれながら崩れ落ち意識を失ったらしい
更に追っ手が来ると面倒だから亜季を見えない位置まで引きずって移動させてから辺りを
警戒しつつその場からできるだけ離れた
走りながら考えてみると接してきた人全てが愛莉を消そうとしているのが分かる
過去に何をしたのかわからないけどそんなのは嫌だった
倉庫ばかりだった周囲はいつの間にか港になっていて船がいくつか見えた
後ろに追っ手の姿を確認することはできないが引き返すことも無意味に思え簡単に出せそ
うなボートを探した
2つ3つ良さそうなのがあったが水上バイクを見付けたのでそれに乗り込んだ
簡単にエンジンが掛かりすぐに走り出すがその音に反応した誰かが港の向こう側から追っ
てこようとするのが見えた
相手も水上バイクに乗り何人かで追ってきた
こんなもの運転したこともない愛莉は
簡単に追いつかれると
2人乗りしている後ろの追っ手がマシンガンか何で愛莉を狙っている
お互いに水上であるために撃ってもそうそう当たらないがただ逃げていても
いつかは囲まれてしまう
徐々に詰め寄ってくる追っ手は観念しろとばかりに狙いを定め愛莉目掛けて一斉にマシン
ガンを撃った
愛莉の乗っていた水上バイクは一斉に浴びた銃弾によってバラバラに吹き飛んでしまった
だが愛莉の姿がどこにもない
辺りを見回すがそこにいる誰も愛莉の姿を見付けることはできなかった
数秒後
辺りは静けさを取り戻し何もなかったかのようになる
追っ手の1人が安心してふーっと一息付いた瞬間
紅に染まった愛莉が水中から一気に飛び出し追っ手の乗る水上バイクの1つ目掛けて剣を
振るった
剣にまとっていた炎は真っ直ぐに追っ手に命中し簡単に川の中へ落ちると愛莉はそれに乗
り込んだ
今度はしっかりした操縦を左手のみで行い追っ手の乗る水上バイク目掛けて次々と炎の玉
を繰り出した
その全てが簡単に命中し再び静けさが戻ると愛莉も元の姿に戻ってしまった
毎度のことながらの脱力感が愛莉を襲う
水上バイクに乗ったままで気を失いかけながらなんとか岸までたどり着くとそのまま地面
にうつぶせに倒れた
その場に誰かがいたようだが見ることなんて到底無理なことだった
次に目を開けた時視界に飛び込んできたのは部屋の灯だった
部屋の中には誰もいないし
もう夜らしい
かなりの時間眠っていたのだろうか
とりあえず誰もいないのなら今のうち
そう思い部屋から出ようとしたが外から鍵がしてあるようでどうやっても開かない
そうこうしているうちに誰かがこっちにやってくる足音がして慌ててベッドの中へ戻った
足音は1つ
1人だけらしい
足音は部屋の前で止まり部屋の鍵を外す音が聞こえた
扉が開く音がして誰かが入ってくる
軽い足音である
女だろうか
振り向くわけにもいかずに壁の方を向いたまま寝たふりをしつづける
何かを確認したかのように止まっていた足を再び動かせると部屋から出ていってしまい鍵
を掛けられた
いなくなったかと安心をして扉の方へ頭を向けると
「やっぱり起きていたんですね」
出て行ったと思ったその足音の主だろう女が扉のこちら側でクスリと笑っていた
「よくぞご無事で」
何がどうなっているのだろうか
追っ手とは違うらしい
「記憶が戻っていませんか?
ではワタクシからお話致します
ワタクシの名はエリザ
貴女の片腕でした」
いよいよ自分が何者なのかハッキリするのだ
そう思うと聞きたくないという感情すら現れてきたがなんとか飲み込むとエリザの話に聞
き入った
「愛莉様はある組織に雇われ人を殺めておりました」
最悪な結果だが薄々感じていたことだった
入れ替わった時の記憶を辿ればそういう推測をするのは容易なことだった
「愛莉様はこの街で指令を待ち依頼された者を…
ですがあの日のことです
クライアントが愛莉様の強さに怯え刺客を放ってまいりました
その結果記憶ごと強い愛莉様の人格だけが隔離され今まで姿を現すことがなかったのです
とにかく今は人格が安定するまで大人しくしていてください」
違和感
何か嘘を吐いている
そんな感じを受けながらも悟られないように尽くした
半日、1日と日は経ち久々に穏やかな日が続いている気がした
このままでも良いやなんて思えるほどに落ち着いている
思えば気が付いた時から今までずっと何かに追われていた
その枷が外れ時がゆっくり回っているような
そんな日が2日続いた
3日目の夜だった
けたたましい音と共にエリザが部屋に入ってくる
「愛莉様
ここも見つかってしまいました
早く裏口から」
「えっ何かあったの?」
有無を問わずに部屋から愛莉を引っ張りだし行き止まりの壁に向かって突き飛ばした
「ご武運を」
えって感じの愛莉にそう告げるとエリザが小さく遠くなっていく
落ちているのだ
「えーーー嘘でしょ」
そこは外
簡単に降りられるがどうだ
落ちたらぺしょんこだ
『少しは自分でなんとかしようとしたらどう?』
もう1人の愛莉が話しかけてきた
声すら出ないほどパニックに陥っていると意識が飛び始めた
完全に入れ替わると愛莉は透かさず剣を壁に突き刺した
ギギギギィー
という音と共に徐々に減速しなんとか地面激突は避けられたが下には既に何人かの追っ手
がいた
ためらうこともなくなぎ払うと急いで建物の中へ戻っていく
「エリザ!?」
入ってすぐのところにエリザが倒れている
「しっかりしろ
エリザ!」
「あいりさま?
記憶が戻ったのですね
良かった」
「死ぬなよ
今処置をする」
「無理でございます
あいりさま
どうか無茶だけはなさらぬように…」
「エリザ?
エリザ…」
失ったものの悲しみも全て背負って生きるんだ
どれほどの痛みと
どれほどの苦しみを
まとったとしても
重くなんかなりはしない
全ては生きるための糧となる
愛莉はエリザをこんな姿にした奴が許せなかった
そして自分も許せなかった
上へ向かって行くと誰かがエレベーターで上がって行く
どうやら屋上まで上がったようだ
愛莉もそれを追うかのように屋上を目指した
ギィーッと重たい扉を開くとあの時の男だ
まさしく愛莉をこんな状態にした男
名前も何も知らない
「再び殺されに来るとはな」
あの時は不覚にも背後から一撃を受けたが今は真正面にいる
剣を構えると相手も獲物を構える
ナイフを2本
それだけのようだ
近距離には適しているかもしれないが断然有利と踏んだ愛莉は一歩で間合いを詰め先手必
勝
見事に男の肩に一撃を食らわせた
だが男はびくともせずにナイフを愛莉目掛けて振るってくる
かすっただけで済むが何が起きたのかが分からなかった
たいした傷ではなかったがもろ入ったはずの攻撃が全く効いていない
確かに感触がなかった
目には見えていたが避けられたのだろうか
試しにもう一度
避ける仕草すらせずに真正面から受けているのに微動だにしない
「もうおしまいかな?」
それまで黙っていた相手が初めて先手を取った
素早い動きに目で追うのも大変だった
背後に回った時だった
時間がゆっくりと流れるのが分かる
それまで素早かった動きがスローになりコマ送りでもしているようだった
それは一瞬のことで次の瞬間には元に戻った
お互いに驚いた表情を浮かべるが会話する間もなく次の攻撃がくるが再び似た状態を体験
した
『偶然じゃない
これは…』
愛莉は目を閉じ唱える
炎が辺りを包むと相手は1歩2歩あとづさる
それを見てもう一度攻撃を仕掛けた
炎を宿したままに剣を振るった
たちまち相手は消滅してしまった
「助かったよ」
その後、紅に染まることは二度となくなった
記憶は戻っても何も変わらない
全世界に指名手配されているようなもの
力を失ったと言うのに
だけど逃げるなんて嫌だった
あの愛莉とは違うやり方でその方法を見つけてやる
そう思った
こんな嫌な音と臭いのするものなんて…
見えないものなんて無数にあって
見えるものだって信じられない時もあるけれど
見えないからこそ勇気
明日だって見えないんだから
明日まで生きていたらそれは勇気になる
逃げなかったんだって
罪は消えないけれど
これからどうやって償い生きていくのかゆっくり考えよう